Analytical Chemistry Lab., TOHOKU Univ.
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がっかい活動

Mt. Dunagiri (7066m)
in Garhwal Himalaya of India
登頂記録:「岩と雪」, No.54, pp.66-69 (1977);
Journal of The Japanese Alpine Club, Vol.72, pp.15-28 (1977).

At the Summit of Mt. Dunagiri
(10/24/1976).

 にほんさんがっかい、つまりThe Japanese Alpine Club (日本山岳会)の会員です。 残念ながら今はほとんど山登りとは無縁の状態です。


 学生時代には、東大スキー山岳部に所属し、日本山岳会学生部でインドヒマラヤのドウナギリ峰、7066mの山頂に立ったり、 年間100日登山したりと活発に活動していました。

 当然、学部の学業は低空飛行の連続でした。しかし、卒業論文の研究に入ってからは、自分でもよく勉強をし、 実験をしたと思っています。


 これが礎となって、今はacademicな「がっかい」活動を活発に行っています。

 主な学会発表の場は、日本分析化学会と日本化学会で、その他、化学系7学協会連合東北地方大会や、日本分光学会、 光化学討論会、生体機能化学関連シンポジウム、日本表面科学会、電気化学会など、関連学協会にも参加しています。





いどう歴

 引っ越し経験豊富です。


 父親は今のJR、昔の国鉄に勤めていました。

 小学校は3つ、中学校は3つ、高校は2つです。

 鹿児島県立鶴丸高校から宮崎大宮高校の2年生に編入した時には、学校間のカリキュラム編成の違いに戸惑いました。 生物の授業は半分しか受けず、地学の授業を2回受け、微積の一部は参考書で独学するといった有様です。


 東京在住の時にも、中野区高円寺、埼玉県志木市、目黒区駒場、台東区千駄木、江東区北砂、埼玉県和光市と、 約20年間で6箇所住居を変えました。

 名古屋在住の時には緑区滝ノ水に3年半住みました。

 仙台に来てからも、東照宮近くの梅田町宿舎、亀岡住宅、そして川内住宅と、6年間で3回住居を変えることとなりました。


 大学で研究生活を初めてから、東京大学で鎌田教授、田中教授、合志教授、澤田教授と研究室のトップが4回変わりました。 この間、フロリダ大学のJ.D. Winefordner教授の元で1年間働いていますので、東大時代の約20年間で5人の教授に師事したことになります。
名古屋大学の3年半では原口教授、新井教授と2人の教授に師事しました。


 引っ越しをし、研究室を転々とした割りには荷物が減らないのが悩みの種です。
 片付けるとは捨てることなり。これを実践するしかないようです。



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