分析化学−mother of scienceからleading chemistryへ
衣食足りて礼節を知る,という言葉がある。生活が困窮しているときには周囲に気を配る余裕がないと言ってもよかろう。生活が安定し,ゆとりができて初めて全体的なことを考えられるのかもしれない。
生産性の向上に主眼をおいて重工業産業,次いで電子産業が発展してきた時代から情報産業の時代へと移りつつある昨今,排水基準の改正や製造物責任の制度など,従来の環境問題からさらに踏み込んだ行政が行われるようになってきた。物を作ることばかりでなく,その後のことにも目が向けられるようになったことは,現在の社会や技術がある一定の水準に達しつつあり,衣食が足りてきた状況になってきたと考えても良さそうである。換言すれば,現在の社会や技術が完熟の時代に入ったと考えられるのではあるまいか。社会や技術の状況に対比して,我々が身を置く科学の世界も安定した時代に入っているのだろうか。
歴史を振り返ると,鎌倉時代にしろ江戸時代にしろ栄華をきわめる安定した社会が続いても,蒙古襲来やペリーの黒船のような外的要因に見られるように,異なる価値観が内外に発生して変革が生じ,次の時代を迎えることになる。社会が安定していようとも座して変革を待つことなく,意識して絶えずブレークスルーを見いだそうと努めることが科学者に課せられた使命の本質であろう。
さて,分析化学の起源としてBerzeliusの化学量論,Kirchhoffの原子分光法やTswettのクロマトグラフィーなどがよく言及される。これらに端を発する方法論の重要性は分析化学の分野では勿論のこと,種々の化学の分野で広く認知されている。このことが分析化学を mother of science と呼ばせる由縁であろう。一方,現在の分析化学に課せられている課題は,ブレークスルーを追求するleading chemistryとしての研究の展開ではあるまいか。このような研究の展開は他のすべての化学の分野でも要求されていることではあるが,分析化学の研究領域は先達の足跡からしても,化学反応,分光法,分離法など他分野に影響を与えうる多くの方向性を持っている。leading chemistryとなりうるには分析化学に携わる個々の研究者が無機化学,有機化学,物理化学など他の領域にも関心を持たれる研究成果を発信し続けることが重要であろう。今後の研究の展開に期待したい。
寺前 紀夫 (ぶんせき,1995年7月号巻頭言より)