東北大学大学院理学研究科化学専攻分析化学研究室

新しい化学の扉



 化学の1月号(2000年)に,「機能のネットワーク」と題する一文を書いた.

 我々の研究室でも行っている分子認識化学を題材にすると,畢竟,生体機能にどのように迫り,どのように分かりやすい機能分子システムとして化学の立場で再構築するか,ということになる.「反応場」と「分子機能の連携」,というのは一つのキーワードである.研究室での文献紹介による分子認識化学の現状を見ると,一流の学術雑誌に掲載されている論文に対して未来を感じないこともある.絵にして美しい分子システムはそれなりに感じる点がある.生体機能の巧緻さにも感動を覚える.しかし,中途半端な「お遊び」の研究に対しては醜さを感じることがある.

 私は,大学1年の時にはワンダーフォーゲル部に所属していた.部員総勢100名ぐらいだったと記憶している.部の中に冬山を志向する先輩達数名がいた.ワンゲルでは道のない所を登る,薮漕ぎなどそれなりに厳しい行動もあったが,何か質の違う厳しさを求め始めていた私は,先輩数名と共に初冬の山に登り,雪の斜面での滑落停止訓練などをした.そのとき,冬山を登るにはワンゲルの技量では到底覚束ないことを実感し,大学2年の時に山岳部に入部した.

  山登りには,頂上を目指して登攀する登り方とトレッキングのようにいわば散策するような登り方とがある.前者は山岳部,後者はワンダーフォーゲル部といっても良いかもしれない.研究にも似たような行動パターンがあるように思える.頂上を狙って邁進する研究もあれば,活動は活発だがなかなか頂上には歩を上げず,山の裾野を駆け回っているように思える研究もある.どちらも,それなりの研究の厳しさと楽しさを持っているのである.ただ,私は絶えず挑戦的に研究課題を設定し,対峙していきたいと思っている.


機能のネットワーク



化学は変わりますか?
 「西暦2000年,化学は変わりますか?」と聞かれると,私の答えは「化学はいつでも変わりえます」となる.世の移り変わりを,5年程度のタイムスパンで考えるとあまり大きくは変化していないように見える.しかし,5年という時間の継続延長である10年,20年という歳月では世の中は大きく変貌している.卑近な例では,電子メールや携帯電話の普及ぶりには驚嘆を禁じ得ない.このような社会環境のやや連続的な変化とは異なり,化学の世界は一夜にして大きな変化を遂げる可能性を持っている.クラウンエーテルやフラーレンといった新しい機能を持った物質の発見,パルスFT-NMR やSTMといった新しい分析手法の開発によってまったく新しい化学の世界が拓かれてくる.新しい物質や分析手法を目ざす研究者がいる限り,化学はいつでも変わりうるのである.


新しい化学への扉
 計測法の開発は物理的背景を元に合理的に進められる場合が多いが,世の脚光を浴びる,新しい機能を持った物質は往々にして偶然の産物としてその発見が行われてきた.とは言え,偶然を追い求めて研究するわけにも行かない.日々の研究の中で偶然の産物である「面白いモノ」を見逃がさない直観力は重要であるが,面白いモノに巡り合えるチャンスを増やすことも重要である.そのためには,従来の研究で行われてきたものとは別の系で研究を行うことである.似たような系から生まれるものは既知の事象である確率が高い.新しい着想に基づく研究を熱心に追究する中に,偶然にせよ必然にせよ,新しい化学への扉を開ける鍵を見い出すことができる.


機能のネットワーク
 化学の面白さは物質の多様性とその多様性に由来する種々の機能にある.しかし,多様な機能とはいっても多くの場合,一分子系については単一機能のみを利用しているのが化学の現状であろう.筆者も携わっている分子認識化学の分野でも,超分子形成による分子・イオンの認識は最先端の一つではあるが,光機能変換や電気化学的応答といった単一機能の利用にとどまっている.生体系では複数の分子が化学反応や分子間相互作用の巧妙な連携により種々の機能のネットワークを構成しており,分子・イオン認識からその情報変換,伝達,情報判断,応答といった,一連の機能が一体となっている.反応場を考慮しつつ,機能を連携して組織化しネットワーク化すること並びにそれらの機能の評価手段を確立することは分子認識化学の辿る一つの道であろう.このようなネットワーク化は,物質の効率良い生産プロセスや分子レベルの論理回路の構築など種々の応用も期待できると思われる.
(化学,55, (1) 31 (2000))
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